内山紙とは

手すき和紙の故郷、内山。

眼下には千曲の流れ、正面に斑尾、妙高など奥信濃の山々を望む小さな集落、内山。冬には雪に埋もれるこの地が、江戸時代より北信地方のよい障子紙の代名詞とされてきた内山紙のふるさとです。夏の間に大きくのびた楮を晩秋に刈り取り皮をはぎ、深い雪の上にさらし、湧き出る清冽な水で漉きあげる…そんな昔ながらの手作業が、ぬくもりのある和紙を生み出します。

内山紙の由来

江戸時代の前期、寛文元年(1661)に、内山の萩原喜右衛門が、お伊勢参りの際に美濃で紙すきをおぼえて帰り、製造したのが始まりといわれています。また、内山の奥地、左部種(さぶたね)に住んでいた人々が紙すきをおこなっていたという古い伝説も残っており、この原始的な紙すきをもとに、喜右衛門が美濃の製法を取り入れ、商品生産としての内山紙をつくりだしたとも考えられます。

雪の中で生まれる内山紙

丈夫で透明度の高い紙として雪晒(ゆきさらし)と呼ばれる技法で繊維を漂白することにあります。1~2月、積雪が安定し、気温がもっとも低い時期の雪の晴れ間に、こうぞの皮を雪の上に並べておくと、太陽の紫外線と雪の水分からオゾンが発生し、繊維が驚くほど白くなります。薬品を使わないこの方法から、ふっくらとしなやかで、しかも強靭な和紙が生まれるのです。

 

→和紙の出来るまで