紙漉きの思い出 Yさん

女性 (昭和19年生まれ 飯山市瑞穂富田出身:実家が紙すき)

私の生まれた家は、冬仕事に紙すきをしていました。

父、母がこうず切りをしてくると、大きな釜で1mくらいに束ねて蒸かし、近所の人2~3人来てこうずはぎです。皮をはがした残りの木はカズがらと言って、ご飯の仕度の時のまき代わりによく燃えました。それに私のスキーの杖にして使っていました。

次はこうずの皮かきです。土間にわらであんだむしろを引いてすわり、ひざの上にぼろ布を掛けて、一枚一枚のこうずの皮をこすり、10~20本位で束ねます。私は学校の休みの日や学校から帰ってきた後に手伝いました。寒い冬は手が冷たくて、自分の口からはく息で手を温めながら仕事をしたつらい思い出です。

次は雪の上にこうずを白くするためにさらします。雪が多く降る日は、こうずが埋まってわからなくならない様に、ところどころによせておきます。天気になるとまた雪の上に広げ、上下を返しながら白くなっていきます。

次の仕事はくし拾いです。毎年来てくれるくし拾いのおばさんに、暖をとるためのあんかを届けに行くのが私の役目です。くし拾い小屋であんかをおばさんに渡すのが嬉しかった事を思い出します。今はもう小屋はありませんが、きれいな清水が流れていて、思い出の場所は残っています。

つぎは紙たたきです。機械でたたく前は、父、母、兄、私で大きな板の上でたたき、こまかくしていました。たたく板も横20cm位、長さ30cmくらいで、たたくのは重い棒の様な記憶が残っています。

これから紙すきです。父は着物を着ていて、父の立っている場所の下に30cm×30cm位の囲いがあり、灰がはいっています。囲いをまたいで父は一日紙すきです。着物の下から暖かい空気が入り、暖を取っていたのでしょう。でも手は一日冷たかったでしょう。

母は父のすいた内山紙を乾燥します。乾くと一枚一枚はいで、つみかさねていきます。まきを燃やしていて、上にのっているトタン板でできた乾燥板の中には熱いお湯が入っています。水の量があるかないか見るための口の開いた部分に、昔はあまり食べることのできない玉子を入れて、母がゆでてくれるのです。その玉子がこうずかきやこうずさらしを手伝ったおだちんなのです。玉子のおいしかった事、一個の玉子の懐かしい思い出です。

最後は母が乾かした紙を板の上に10cm位きちんとそろえて載せ上にも板を上げてその板の上に父が上がり、四方を板に合わせて大きな包丁で切りそろえ出来上がりです。

私の家の障子紙は父の自慢の内山紙です。掃除の時はたきをかけると、とてもよい音がするし、とにかく丈夫でやぶれなく、色が黒ずんできた時張り替えていました。

紙漉きの思い出で、なんと言っても忘れられないのは、こうずの木の株にはえるこうずのきのこです。秋になると取りにいき、みそ汁を作ります。ぬめりがありつるつるしていて今の山なめこと一緒です。かずきのこと、トーフのおいしかったみそ汁は今も食べたい懐かしい味です。

(平成25年4月 本人記)

 

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